でら偏見(2) 雑誌を読もう! 先人たちは主に自然から原理を学び、それを利用して道具を作ったり、芸術・文明などを残してきました。そして現代、コンピュータの時代になり、人は最初から最後まで学ぶ必要はなく、最初と最後だけを学ぶだけで良くなりました。この情報が溢れる現代では、「何故それが存在している」のかを考えず、「それはそういうもの」とだけ認識するのです。 プラトン哲学の言う「イデア(事物が存在している根拠)」が「アイデア」となりました。今はヒラメキという解釈になっていますが、僕の解釈は「その存在理由・必要性を問い、理論に理論を重ね、最終的に具象化されて出てくる思考・事物」だと思います。パッと頭に思いつくものではなくて、自分なりの経験や哲学があるからこそ出てくるものだと思うんです。 「存在」するということは何かしらの「必要性・必然性」があるということなんです。でも全て一切は完全であるため、陰陽(昼と夜、男と女、剛と柔など)の関係からその対極にある物事も存在してしまうのです。ノーヴェル博士の発明した「ダイナマイト」は土木建築を効率化させる「必要性・必然性」をもって生まれましたが、カルト宗教や戦争といったプロパガンダ的な「必要性・必然性」を主張するための物でもあるのです。要するにデザインは自分にとっての「善悪の存在意義(アイデア)」を主張する行為となるんですね。
どれがいいデザインなのか見分ける方法。それは、「自分が楽しく読める雑誌」です。自分の気に入ってるページには、なんらかの共感できるデザインの理由があって見ているんです。文字ばっかりの小説であっても、内容もさることながら、文字の配列、空間の空け方などで飽きずに読めるようなデザインが施されているのです。 今までのコラムの内容を気にしながら読むと、意外なことを発見できると思うんです。枠の取り方、罫線の使い方、フォントの使い方など、気に入っている雑誌は気に入っていない雑誌に比べ、自分にとって良いデザインであるはずです。その中に「アイデア」は存在するのです。どれだけ良い内容だとしても、良いデザインでないものは淘汰されていってしまうのです。あとはその自分の「アイデア」を自分の中に取り込む作業をするだけです。
僕の場合は雑誌を読むんじゃなくて、雑誌を観るという行為になってしまったので、視覚的に引き込まれない限りその内容は読まないことが多いです。新聞や週刊誌なんか見出しがかなり大きく設定されているので、その内容が好きかどうかは別としてもつい見てしまうデザインですよね。 デザインするに当たって、「アイデア」は自分の興味を引くものの中に存在しますので、あなたの本棚に並んでいる本をもう一度違う目で見てみてはいかがでしょうか? written by ayanpa
Posted by ayanpa | でら偏見 |2005年08月24日 | Comments [0] | Trackbacks [0] トラックバックこのエントリーのトラックバックURL: コメント |
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