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コンセプトはめちゃんこ重要 コンセプトと技術

屁持論:
反証しえない理論は真実ではにゃー

「またかよ!」と思うかも知れんけどもう一度書かしてちょ!
インターネットの世界を通じて色々な人と交流をもつことができたり、協力してもらいながら「ayanpaのデザインうんちく」を存続させてもらっていることに本当に感謝しとるんだなも。
意見を戴いたり褒めて戴いたりとおいらの修練やはげみになるなも。「ありがとうだなも!」

ほんで最近「自分でもできるか?」「どうやったらデザインができるようになるか?」というお便りを多数頂いて、恐縮しつつおいらの勉強方法について素人ながら自分の考えを書いていこうと思うがや(プロの人に読まれたら恥ずかしいがや)。

「デザインできてええなあ」と思う人もいるかも知れにゃーが、おいらからしてみれば「サイト運営ができるなんてすごい!」と思うがね。ホントにチンプンカンプンだなも。
(※このサイトはおいらがコンテンツを作って、妻がサイトに仕立てているがや。)

* * *

でら偏見「ライセンス」で、「共感すればみんなセンスは同じ、得手不得手は努力傾向の問題」と書いたが、「絵心」が最初からあるんじゃなく、ただ単に「好きなことやってる」だけだで。
そんで、はずかしながら自己流デザイン理論を書いてきたのだが、申し訳にゃーがはっきり言って「役に立たにゃ~」と思う。
何故なら、「こうじゃないかな?ああじゃないかな?」と感覚的に手探りでやってきて、反省の意味を含めて「その結果を出したのはこういう理屈があったから」とつじつまを合わしているに過ぎにゃーし、人それぞれの経験で理論が変わるからである。是非でなく、ただそこにあるのは「共感」だけだがや。


世の中の一切が完全であり、また無常なものだで、みんな自己中心的にしか生きられにゃー。
生きてること自体が誰かの役に立っている反面、自己を通そうとすれば必ず他の誰かを傷付けてまう。もし一つの理論だけが真実であるなら、宗教も一つ、世界も一つにまとまって戦争なんて起こらんがね。どんな宗教だって「幸せ」という真実は一緒。でも、どんな方法で幸せになるか?という事実が違う。

人類はアダムとイヴの子孫と言えば、猿から進化したと言う人も、土人形に魂を吹き込んだと言う人もおるんだで。聞く人によって全部正しいし、全部間違いだったりする。
1+1=2、3-1=2、1.5+1-0.5=2…という感じで、真実は一つだが事実は多数あるもんだでよ、おいらの言ってることも半分ホントで半分ウソになる。


今までの自分のコラムを否定するように聞こえるかも知れにゃーが、おいらは自分の考えや作品を反証してみて、その是非を問うのである。「何故それが必要なのか?」を。

「反証しえない理論は真実ではない」と何かの科学本に書いてあったが、要するに「AのときBである場合、AでないときのBは?」と、反証してみて答えがズレないか?ということなのである。
例えば、「動画をおいた時の画面は面白い」を反証して「動画のない画面でも面白い」であればズレが生じるから、「動画」は必要のにゃー表現となるのである。
だで、矛盾したものを表現したりすると、無意味で分かり辛い画面になるんだがや。
「よい表現物」というものは肯定・否定しても「ズレない」のである。(おいらはズレまくりだが…。)

何故デザインする人にストイックな人が多いかっていうと、ツッコまれにゃーようにその矛盾点を解消するためにあれこれ考えるからだと思うんだがや。それを「職人魂」といえばかっちょええかの?
みんなも自分の作品を反証してみて矛盾がにゃーか確認してちょ。”それ”があった場合と無かった場合の状況を考えると、「ここが変だと思ったんだよな~」と不確かな部分が浮き彫りになってくるはずだでよ、そこが修正点だなも。
何度もそれを繰り返して矛盾点が無くなったら、きっと満足できる画面になっとるとはずだで。

おいらのコラムは落語のように「AとかけましてCと説く、そのこころはB」と、最初と最後だけ決めたあとの「B」のオチ部分だと思ってちょ。
それがおいらの自己流の考え方だで勘弁したってちょ!

おいらのデザインの順序は英語の「5W1H」の様に、
<1>コンセプト (なにがしたい)思考があって、
<2>センス・イメージ (こんなこと・あんなこと)想像があり、
<3>ポリシー (これは良い・これは悪い)理性で絞り、
<4>DTP (ああじゃ・こうじゃないかな?)感覚で作業し、
<5>技術 (どうすればいい?)創造を身につけていくんだがや。

それを何度も反復して経験していくうちに<1>「コンセプト」からすぐ<5>「技術」のプロセスで済むようになるから、作業が早くなるだけで、特別なことをしとるわけじゃにゃーのである。
経験として、1から5までのアナログの作業をしてからじゃないと、技術だけのデジタル作業は空虚なもんになってまうから、「急がばまわれ」が一番の上達の早道になると思うんよ。
おいらがちょっと自信がある部分は何か?と言われれば、「技術力」なんかじゃなく、「理屈のこね方」・「パクり方」くらいだがや。

* * *

げーでぃゃー(芸大)時代、ホンダ技研から出張してきたプロダクトデザイン科(車や茶碗とかの工業製品のデザイン)の先生は技術的なことは何も教えてくれんかった。「技術は入試のデッサンとかで持っていると認定しているから、教えることはない。パソコンの勉強がしたいならパソコンの学校へ行け」と言う。
そりゃ、パースとかレンダリングとかの基本は教えてくれるけど、「表現」は人それぞれだし、先生のモノマネで終わってまうから自分なりの「技術」をあみ出すしかにゃー。
先生曰く「鉛筆やパソコンなどの道具の使い方覚えても良い作品は作れんぞ! 良い作品を創ろうと思えば必要な技術は後から必ずついてくるんだから、まず高いレベルでのコンセプトと作品イメージを持て!」。

ごもっともでございます。お金持ってても幸せになるとは限らにゃーと同じだね。
幸せになりたいからお金の有効な使い方を勉強するんだよね。「お金」と「自分の幸せ」の主従関係がずれると自分を見失う。

でも、その当時は技術さえ優れていれば(お金持ちなら)かっちょいいもん作れる(幸せになれる)と考えてた。
だで、作った作品をプレゼンテーションすると、「なんでこうしたの?」「なんでこの表現が必要なの?」と先生にツッコまれまくりだったがや(今でも現役の友達にツッコまれる)。
こっちも「…いや、…これはかくかくしかじかの理由がありまして、こんな感じがいいんかな~?と思って…(汗)」となんとか言い訳するのが精一杯だった。
空間認識・面のとり方から線一本の扱い方まで、「必要性・理由」を求められた。
そんでできるだけ無駄な装飾を削ってツッコまれにゃーような「矛盾のにゃー作品」を作ることに心がけとった。
他の専門学校の友達が「バットマン・カー」のような流線型バリバリのかっちょいいスタイリッシュな車の絵をパソコンで作っているのを見て「ええなあ、おいらもこんなん描きたい」と思っていたが、今は「現実の生活には必要にゃー形」だと思う。目指しているものが違ったんだよね。

* * *

デザインは、常識や固定観念に沿いながら新しい概念を提案し、見る人との「約束事」を作ることで誰もが納得するものじゃないとあかんけど、芸術は常識や固定観念といった衣をはぎとり、これはこういうものという「約束事」を破って「内なる美」を追求することに意義があるんだがね。

作品の評価は「先生の好み」が基準だと思っとったけど、今考えてみると、「自分の意図・表現物を相手に理解させられるか?」が基準だったんだろうなあと思う。
学校では技術じゃなくて、「誰もが理解できる」作品を作る理論のたて方を勉強したような気がするがや。それは次第においらの「哲学」の理論のたて方に結び付いていった。

「どんな勉強すれば?」とよく聞かれるが、デザイン事務所入るときでもマックの使い方ようわからんかったし、2Dの世界は初めてだったので、とにかく仕事が入って「やらざるを得ない」状況に追い込まれて初めて覚えたから、勉強というよりは必要に駆られた「経験」で身についたものだと思うんよ。


一人で外国へ行って外国人と話す必要にかられたとき、おいらの場合、中学・高校で学んだ英語が全然役に立たんくって、とにかくわからんなりに「身振り手振り・態度」で相手に伝えていくうちに、挨拶程度の英語は話せるように知らん間になっとったのと同じ。

「ソフト」はただの道具にすぎにゃーから、「パソコン上の鉛筆」の使い方を覚えるだけで、良い作品が作れるかどうかは「自分の考え」をいかに「鉛筆」に伝えるか?だけと思うんだがや。
必要に駆られんとおいらはものを覚えようとせんので、妄想だけ抱いていきなり「背水の陣」状況に自ら追い込んでまい、良いか悪いかの判断よりも「とにかくやってみる」ことがおいらにとっての「勉強」方法なのかも知れにゃー。「虎穴に入らずんば虎子を得ず」やね。そんなんでやってきたので自分がしているデザインは正しいかなんてわからせん。
判断はクライアント次第で、「99%の相手のやりたい・表現したいこと」に1%の自分の提案やテイストを加えることがおいらの能力だと思うんだがや。


「塩ひとつまみ・醤油ひとさじ」で料理の味が変わってしまうのと同じで、「素材を生かす料理」がデザインの真髄だがね。逆に、クリエイター(フォトグラファー・イラストレーター・エディターなど)は「良い素材(写真やイラストや文章とか)を作る」ことに意義がある。
あと、「早い・安い・旨い」の三拍子でクライアントをイライラさせないことも一つの技術なんだろうね。
「上手な表現方法」はデザインに限らずどんな分野でも「相手の意図を汲む力」が必要と思うんだがや。
だで、クライアントのコンセプトを理解できるかどうかでおいらの作品レベルは変わってまう。


例えば料理で「良い素材があるんだけど何か作って!」と言われれば、煮たり炒めたりと提案できるのだが、「おいしいもの作って!」とただ単にいわれてもどんな料理作っていいかわからんがね。
ミーティングでコンセプトを知り、相手の好みを察知すれば相手の表現して欲しいものを作れるが、ウェブの世界では、相手の様子は「メールの文章とサイトの印象」くらいしか伺えんから難しい…。

兎にも角にも、何度も口をすっぱくして言いたいのが,

「コンセプト」!


「コンセプト(どうしたい)」がなければ「技術(どうすれば)」は何の役にもたたにゃー。

コンセプトは必ずしもすばらしい表現を生み出すとは限らにゃーが、コンセプトのにゃーところにすばらしい表現はにゃー。「才能」とは、結局自分の考え・行動にどれだけ自信を持てるか?だと思うがや。

「デザインに凝る」というのは、「コンセプトに凝る」ということであって、「技術に凝る」ではにゃー。
白黒の平面の状態でしっかりしているから立体文字やグラデーション、コラージュなどの技術を施すことができるのである。
本来デザインは地味で何の飾りっ気もにゃー「ショートケーキ」であるべきだと思うんだがや。
単純なものほど難しいものはにゃーのでパティシエの質によって差は歴然としてくる。
「デコレーションケーキ」はあくまでも「ショートケーキ」が上手に作れる人が作るから、豪華で本当においしいんだがや。それを用語では「意匠(スタイリング)」と言う。


おいらの理論は自分の生き方の「理想」であって、結果が出せてにゃー段階だから「絵に描いた餅」状態なんだわ。それに、人によってもっともっと違うやり方や解釈があって、「私ならここはこうする、ああするほうがいい」という意見があるはずだで、それを大切にして欲しいんだなも。
のうのうと持論を言ってまったが、これがおいらの考え方と勉強方法なんで失礼があったら勘弁してちょ!




…?ピコーンッピコーンッピコーンッ? …ん、あれ? 
いっ…いかん!これ以上チタマ(地球)にいることはできにゃー!!なごやん星に帰らねば!
というわけで、今回で長々と続いた「あやんぱのデザインうんちく<構成編>」は終了だがや。(次は何編?)
悪筆ながら今まで愛読してくださった方々、愛想を尽かした方々、ほんまにありがとうだなも(号泣)。
これからも何度か読んでもらって参考にしてくれるとおいらはめちゃんこ嬉しいがや。おいらも「悪」と戦っていくでよ、また掲示板とかで応援してちょ!
じゃあ、頑張ってちょー!バ~イちゃ!
デラッ!(←飛ぶときのかけ声)

written by あやんぱ


Post Script :
おいらのべっぴんさんを見つけたときの順序は、
<1> べっぴんさんと付き合いたい
<2> あんなことやこんなことや、エヘヘヘ…(妄想)
<3> 彼女に見合う男になろう
<4> 男らしいところみせなくては!
<5> よし!既成事実つくってしまえばこっちのもの!
慣れてくると最初と最後だけのプロセスになってくる!?

ファミコンで「上上下下左右左右A」で必殺技を出したり、ドラクエで「戦う・防御・呪文・道具・逃げる」をパパパっとさばいて押すみたいに要領を覚えれば感覚だけで考えなくてもできるようになってくるがね。
そんでたまに「快心の一撃」がでるのである。「逃げる」を7回してから「戦う」にするとええね!(よく痛恨の一撃を喰らうが…)。
ちなみに、おいらは「モシャスとラリホー」、ayanは「メダパニとパルプンテ」、そして娘は「ベギラマと不思議な踊りとメガンテ」の呪文が得意である。
誰かおいらに「ベホイミ」の呪文をかけてくれ~~。




Posted by ayanpa | 構成編 |2005年09月17日 | Comments [0] | Trackbacks [0]



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