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でら偏見(11) 岡本太郎というモンスター

万国博覧会「愛・地球博」が平成17年に愛知県で開催されました。
自然の叡智をテーマにし、様々な環境問題にとりくむパビリオンが立ち並び来場者数2000万人を超える大成功を収めました。

そして、その昔“大阪万博”というものもありました。
テーマは「人類の進歩と調和」。

人々は、文明と経済の発展を望み輝かしい未来を想像していました。
ソ連の「ソユーズ」や「ボストーク」、アポロが持ち帰った「月の石」に世界中の人々が関心を寄せ、近い将来「宇宙旅行」ができるんじゃないかと夢を膨らませていました。
それは今現実になっています。
技術や文明の進歩はこの約50年で著しく発展し、人が望むであろう便利な道具はお金さえあればすぐ手に入るようになったのです。

しかし、その‘70大阪万博、一人の異端者がいました。
その人の名前は「岡本太郎」。
“芸術は爆発だ!”で言わずと知れた芸術家です。

「人類は進歩していますか?  縄文土器を見ても、ラスコーの壁画を見ても、現代の人間があんなの作れますか?  技術や生産の面では進歩しているかもしれない。  だが人間としては、むしろ退歩していると言っていい。

調和も、みんな相手の様子を見て、お互いに六分ぐらいのところで頭を下げあって、馴れ合うのが“調和”だと思っている。 そんな調和は卑しい。

フェアーに己を主張し、ぱんぱんとぶつかりあって、徹底的に闘って、その結果、互いを認めあったところに成り立つ均衡なら許せるけど、いま普通に考えられている調和なんて、ぼくは大反対だ」 


と世界に挑戦状を叩きつけたのです。

大阪の吹田にある公園に、不気味なほどの存在感で建っているバケモノ…「太陽の塔」。
地下の世界、塔内の生命の樹、大屋根には未来社会と三層に重なる曼荼羅。
進歩と調和のエキスポ全体に対する強烈なアンチテーゼ(否定反証)、最先端の技術が立ち並ぶパビリオンの中心に愚鈍で無意味でプリミチブ(原始的)な巨像。
全ての進歩主義・モダニズム・テクノロジー・未来への夢…それに対して「心」の矛盾を突き付けたのがあの作品なのです。

23歳の夏、僕は “それ”の意味を知りたくて一人バイクで吹田公園へ行きました。
遊園地を横目に入園料を払い中に入っていくと、きれいに芝が切り揃えられほのぼのとした風景の中に異様な…とても不気味なものが建っていました。
全然きれいでもないし、技術的にすばらしいとも思えないし、かっこよくもない。
でも、強烈に頭に印象として残るバケモノ。
朝から行って日が沈むまで、ずっと見ていました。

何でこんな形なのだろう? なんでこれじゃなきゃいけなかったのだろう? なんで?…。
汗と涙が身体からにじみ出てくる。
何もわからないし、何も答えてくれない。
ただ“それ”は僕を見下ろしているだけでした。

リュックの中からペットボトルを取り出し、胃袋に直接水を流し込んだ。
“それ”は両手を広げて何かを包み込むのではなく、何かをはじき出しているようにも見えた。
鳥のような口先からは人をバカにしたかのような声が聞こえる。
雷のような刺青は僕を脳天から打ち砕くかのようだ。
背中にはとても深い、暗黒の世界がある。

わけのわからない感情と理解し難い形態に混乱し、結局何もわからないまま公園を後にしました。とても後味の悪い感覚…でも、何か重要なことを言っているような…太陽の塔は僕の存在を否定しているような気がしていたのです。

そして今、なんとなくその“意味”の輪郭が見えてきたのです。
それは、まったくの“無意味”であるということ。

僕は太陽の塔に意味を求めていました。
でも、太陽の塔は最初から意味を持っていなかったんです。 
無意味であるということが意味を持つことになる…そんな感覚理解できるはずがありません。
僕がこれこれこういう人間でこういうことをしている…その巨像の前では何の意味も持たないのです。

ニートから無差別殺人・戦争…どれだけ文明や技術が発達したとしても、そこに心だけが退化してしまっている現実がある。
何でも揃う、でも、何も満たされない…それがあの無意味な巨像の“意味”なのではないか?
もし、そうだとしたら、僕はとてつもないものと対峙していたことになる。
だって、一生懸命“意味”を求めて無意味なものを拝んでいたことになるのですから。
だから、後味が悪く不気味な印象を太陽の塔に持っていたのではないか?と考えたのです。

自分の成長や進歩を望み何でも知ってやろうとする僕の浅はかな欲望は全て否定されてしまったのです。気にしなければ、何のことはないコンクリートと鉄でできたガラクタ…。あぁ、これが芸術作品と呼ばれるものの魔力なのか。

否定されて否定されて、それでもなおかつ“僕”を主張するもの…
最後に残ったものは“創る”という言葉だけでした。

そうだ、僕は夢がなかった。
心が揺れ動くような情熱がなかった。 
特に何かしたいわけでもない。 
何か自分に有利になるような…楽に暮らしていけるような知識が欲しかっただけなんだ。

それから僕は“創る”ことを心がけるようになりました。
創るとは作品を作るとかいうことではなくて、人であれ、物であれ、その対象との間で本音で語り合い自然に出てくる笑顔を生み出すという意味です。僕という名の粘土を叩いたり潰したり引っ張ったりしながらみんなの幸せのカタチを創りだすこと…それが“創る”。

それ故に“僕”は理屈を“こねる”のです。
あっけらかんとして無責任な“おいら”もいますが…。

叩いて練り込んで僕のイメージするものをイデアライズ(理想を形成)させていく…
太陽の塔は、今も、僕を睨んでいるような気がします。


<参考リンク>
岡本太郎美術館
岡本太郎記念館


<参考書籍>




Posted by ayanpa | でら偏見 |2005年12月02日 | Comments [1] | Trackbacks [1]



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コメント

岡本太郎「明日の神話プロジェクト」
http://www.ntv.co.jp/asunoshinwa/index.html

「明日の神話プロジェクト」がカタチになり、ついに汐留・日テレプラザで展示されたなも!
このプロジェクトは7/7七夕の夜9時より日テレで特別企画として放映されるがや(15日にも)。
「Be TARO」を合い言葉に、色々なアーティストが参加して岡本太郎について語ってるで、興味のある方はホームページやテレビなどで調べてみてちょ~。

第2日本テレビ - 爆発屋 岡本太郎大博覧会
http://www.dai2ntv.jp/p/z/002z/index.html

投稿者 あやんぱ : 2006年07月06日 23:42



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