| でら偏見 その5 劣等感 |
前回の「でら偏見 その4」で偉そうなことを書いていましたが、実は僕自身が一番実行出来ていない人間です。何をやっても中途半端で「まあ、いいや」と諦めてしまう部分は昔からずっと心に根付いています。
「ホンダ技研」に憧れて高い授業料を親に負担させ芸大を卒業したものの、結局町工場で車のバンパーなどのエアロパーツ作り…。それが嫌になって他の就職先を探しても開発に携われるわけもなく、広告代理店に就職し2Dの世界へ転身、ふと気が付けばこれからの目標を失っていて、あげくのはてに海外逃亡。
親の立場になって初めて、どれだけ自分の親を不安にさせていたかを知り、「もう逃げない」と心に決めても、まだ逃げ続けているのが現状です。でも、今は子供を持って「逃げられない立場」にいます。
中途半端な自分だけど、この新しい命を守っていかなければならないと、「逃げ場所のない覚悟が、夢に変わった。」この気持ちが、今自分を衝き動かしているのでしょう。
だから、僕を苦しめている劣等感が、逆に「なにくそ!」と良いベクトルになっています。
僕にとってデザインはこの劣等感を自分の自信に変える作業でもあるのです。
子供を持ったおかげで、5年後、10年後に自分がどういう人間で、どういう親になっていなければならないのか? という目標を持つことができ、今何をするべきか? という課題が明確になりました。
「人生のコンセプト」を子供からプレゼントされたようなものです。
何が何でも、兎にも角にもやりきらなければならない「コンセプト」を。
もちろん、前途多難でこの先どうなるかわからないですが、コンセプトがあるおかげで僕はへたくそなりに人生をデザインできるのです。
「劣等感」に包まれた自分のやってきたことが、自分のこの先に対して何らかの役に立ったのであれば、そのとき初めて気持ちが開放される瞬間なんだと思います。
なんだかんだと言っても、結果の出せていない自分にとっては、まだまだ「理想論」です。結果が出せない「負け犬」になんかなりたくないから、失敗しても言い訳はしない覚悟でやれるだけのことはやろうと思います。
僕にとって「結婚」「仕事」「子供」はとてつもない重圧(プレッシャー)であり、逃げ出したくなるくらいに心配や不安といった問題を抱えています。人は、自分の居場所がなくなり、それに耐えられなくなったとき、酒・浮気・ギャンブルなどで紛らわそうと思うのでしょう。
でも、以前は「まあ、いいや」と諦めていた自分が「ま、なんとかなるだろう」と楽観的に物事を前向きに考えられるようになったところは「成長したかな?」と思えるところです。
「自由はがんじがらめの不自由さの中にある」
何者にも束縛されないことが自由ではなくて、自分の希望はまったく正反対の事物に内包されています。
争いがなければ平和を望みません。
病気がなければ健康を望みません。
僕は何者にも束縛されない自由を求めた結果、孤独と、自分で何もかもしなければならないという不自由を与えられました。
影響された言葉に、
「一番の問題は、まったく問題がないことだ」
「一番の恐怖は、恐れを恐れてしまうことだ」
などがあります。
なんの波風も起こさず平々凡々と暮らせる人間なんて存在しない。
病気を心配するあまり、「気を病んで」本当に病気になったら本末転倒です。
「一病息災(一つくらい病気を持っていた方が健康的に生きられる)」の精神で、「心配」「不安」「劣等感」「恐怖」「問題」があるからダメなのではなく、それがあるからこそ「希望」「安心」「自信」「解決」を望み努力していけるものなのだと思います。
「やってもみずに出来ないと言うな!」はやっぱり僕の中では真理です。
僕は今「劣等感」を持っているからこそ、「不屈の精神」を得る努力ができるのだと信じて頑張ろうと思います。
written by ayanpa
PS. 20数年後、娘が結婚して出て行ったら今度は何をコンセプトにしよう?…孫?
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