かっこよくなきゃデザインじゃない!? そんなのは誤解だ!
デザインとは何ぞや?を考える、ayanpaの独断と偏見のデザインうんちくです。

νでら偏見 その1 芸術と裸の王様
● νでら偏見 その1 芸術と裸の王様

芸術と聞くとえらくたいそうな物の様に聞こえますが、実はごくごく身近に存在する要素なのです。死や戦争や病気、バナナの皮や石コロにだって芸術は存在します。
何故、それが価値あるものとして存在するのかというと、芸術はいつでも時代や常識にとらわれない「生きる」ことをテーマとしていて、観る人に「感動」や「疑問」を与えることによって人生を豊にさせてくれるからだと思います。
言うなれば芸術は自分自身に対しての価値をそれに見出しているのです。

でも現実問題、芸術というものがなくても日常の生活は営めるし、とりとめもない形や色使いのガラクタの様な絵に何故何億という値段がつくのかさっぱりわからない。
風景画などのモダニズム(近代芸術)はまだ素直に見えるのですが、抽象画などのアヴァンギャルド(前衛芸術)は特にそのセンスは常人の認識レベルを逸脱しているものがあり、理解しようと思ってもできるはずもなく、みんな尻込みしてしまうか無視するのがほとんどでしょう。
ピカソやゴッホなどの絵を理解できる人は涙し、できない人はただのガラクタと思うでしょう。
ただ有名なので漠然と価値あるものなんだろうなと思うだけです。

人は誰でも芸術に対して、「裸の王様」なのです。
芸術家がバナナの皮を机に置いて「芸術作品です」と言われて、はたして理解できるでしょうか? インテリぶって理解してる顔をしたって内心むなしいものです。

理解できないものは出来なくていいのです。僕にとっては、ピカソだろうがゴッホだろうが興味を惹かない限り、その作品はガラクタなのです。それはどうせ分からないんだからあきらめろとか言っているのではなく、なんの印象も持てない作品はその人にとって芸術とは言えないと思うからです。

そもそも芸術を「理解」するとはどういうことなのでしょうか?
僕の考え方を述べると、「潜在意識の内側を感じる行為」だということです。
芸術の奧深くには、汚らしさやいやらしさ、そして真実の美しさがあります。

「恐怖は無知から生じる」ので、見た事もないようなものには恐怖や不安を感じたりします。
どうみてもガラクタにしか見えない絵が頭の中にしこりのように印象に残って、「なんじゃこら?わけがわからない」と言いながらまじまじと見てしまう。それこそが芸術だと思うのです。
そう、それは自分自身に対して行っていることと同じです。
「知りたい…でもわからない」というものが芸術であり、また、自分自身ではないでしょうか?

自分の行った行為に感動したり、後悔したり、とにかく通常では考えられない結果の自分に考えたことはないでしょうか? それは己の内側に潜む自分が表に出ることに戸惑い、驚いて、「神のしわざ」のように思うのです。

自分の才能や可能性、容姿などに不安や疑問を持っても、それは環境や神様が自分をそうさせていて「わけがわからない」ものだから、占いや宗教などで “誰か“が自分の人生を決定し、導いてくれるだろうと外的なものに答えを求め、自分自身には見て見ぬふりをする。
「世の中の大抵のことは知ってる。知らないのは自分自身だけだ。」とどこかの哲学書に書いてあるように、外側には「博学」でも内側には「薄学」なのです。

「感性」とは色々なものを見たり感じて自分なりの情報処理を行う能力だと思いますが、では、自分自身についての情報の処理はちゃんと出来ているでしょうか?
自分が一番かわいいと思っている人でさえ自分のことには「裸の王様」なのです。
わかっているということは「悟りの境地」にいる人なんでしょうが…。

そこで「芸術」というものを「理解」するという行為の意味が出てきます。
自分の感性にマッチした対象物というものは必ず印象という磁力にひきつけられて目や心の奧に残ります。
そしてそれは自分自身の存在を肯定するための材料となるのです。
芸術は決して「答え」を持っていません。観る人が答えを出すのです。
「ヒントは外にあり、答えは内にある」という言葉があるように、芸術作品というものは自分自身を知るためのヒントが隠されているものなのです。

ドイツの諺に、「己の運を信じるものに不幸なものはいない」とあるように、自分自身を知り、信じる人は成功するのです。
だから何億という価値が出てくるのです。自分自身の価値を見出す芸術作品の値段が安いはずがありません。…でも実際は見栄や宣伝など外的アピールや自己満足のために売買されるケースもありますが…。

「芸術」というものを理解する人が必ずしも幸せになるとは限りませんが、「芸術」の理解がない幸せは存在しないのです。「芸術」とは愛情・人情・友情・憎悪…などの心を動かす感情であり、それを行う自分自身です。
展覧会などに行かなくても、普段の生活で心が動く対象が存在すれば、それはその人にとっての「芸術」なのです。

大好きな選手がオリンピックで金メダル…感動した!…自分もあのように頑張ってみよう…。
海に行った…海岸から水平線を見てたら何故か涙が出た…。
もうこれはその人にとってのある種の「芸術鑑賞」だと思います。
滴り落ちる水に、ヘレンケラーの様に感動することだってできるはずです。
見栄や猜疑心を取り払い、素直に対象物をみる姿勢が身近にある芸術を鑑賞するには必要なのです。
メディテーションして「呼吸」ひとつひとつが自分を快適にさせているという事実を知ったときとか、六感全部を敏感にさせると、以外なものが自分を感動させていることに気付くでしょう。

自分自身を気付かせてくれるのが「芸術」という僕の結論です。
もし好きな画家の絵などの展覧会を観に行く機会があれば一度考えてみてください。
「その絵に感動させられているのか」、それとも「その絵を観て自分が感動しているのか」を。
きっと何かしら不思議な感覚が心に残るはずです。

僕はどれだけ「理解」できるのだろうか?
そして今どれだけ「裸の王様」なんだろうか?

芸術はいつも僕に不安と疑問、そして感動をもたらしてくれる。
ちなみに最近の僕の芸術は「家族」と「膨らんだお腹」です。

written by ayanpa



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